「情けは人の為ならず」の意味とは?情けをかけて報いを受けるのは誰なのか

情けは人のためならず 言葉

情けは人のためならず、めぐりめぐって己(おのれ)が身のため。

「情けは人の為ならず」とは、『人に情をかけておけば、それがやがて良い報い(むくい)になって自分にも返ってくる』という意味です。

古典落語の「佃祭」でも語られるこの諺(ことわざ)の通りに、良い報いが返ってくることは、大阪大学の研究グループによって科学的に実証されています。

陰徳あれば、陽報あり。おおきな見返りありきで「情け」をかけても、良い報いは返ってきません。

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情けは人の為ならずの正しい意味

「情けは人の為ならず」とは、『人に親切にすれば(人に情けをかけておくと)、巡り巡って(やがては)良い報いとなって自分にもどってくる』ということです。

「情けは人の為ならず」とは、『自分に何かしてもらいたいから人に親切にする』のではなく、すべてのことは「お互い様」ということです。困っている人がいたら手を差し伸べる、情けを受けたら恩を返す、人間が本来持っている美しい心のあり方を表現した、諺(ことわざ)です。

「恩を売る」とは、『のちのち自分の立場を有利にしたり利益を得たりする目的で人を助ける』ことです。おおきな見返りありきでおこなう親切と、見返りを期待しないでおこなう親切には、大きな違いがあります。恩を売っても、良い報いは返ってきません。

「陰徳あれば、陽報あり」とは、『かげで善行をおこなう者は、必ずよい報いがあらわれる』ということです。「かげで・・・」というのが、見返りを期待していないということ、「情けは人の為ならず」は「陰徳あれば、陽報あり」のたとえです。

「情けは人の為ならず」を、『人に情けを掛けてやることは、結局はその人のためにならない』と解釈するのは、もってのほかです。

古典落語の「佃祭」を聞くと、「情けは人の為ならず」とは、どういうことなのか、ちゃんと理解できます。

国語に関する世論調査の結果

文化庁が実施している「国語に関する世論調査」で、「情けは人のためならず」の意味について尋ねたところ次のような結果がでました。

平成12年度

(ア)人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになる・・・・・・47.2%

(イ)人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない・・・48.7%

平成22年度

(ア)人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになる・・・・・・45.8%

(イ)人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない・・・45.7%

平成12年、平成22年とも本来の意味である(ア)を選んだ人は、50%未満で、間違えた意味である(イ)を選んだ人とほぼ同数という結果です。

文化庁の調査では、60才以上を除く全ての年代で、間違えた意味である(イ)を選んだ人の割合が多いことが分かります。

気になるのは、(ア)と答えた人も(イ)と答えた人も10年の間に減っているということです。数十年後に、「情けは人のためならず」という諺(ことわざ)が、消えてなくならなければよいのですが・・・。

なぜ本来の意味と違う意味で理解してしまうのか?

「為ならず」の解釈を間違えているので、「情けは人の為ならず」の意味を誤解していると考えられます。(文化庁 言葉のQ&A 「情けは人のためならず」の意味 参考)

「為ならず」であって「為にならず」ではありません。

「為にならず」ならば、「その人のためにならない」と受け取れますが、情けは人の為「ならず」です。

「ならず」は、断定の「なり」+打ち消しの「ず」です。ならず=である+ない=『~でない』という意味になるので、情けは人のためならずは、『情けは人のためではない』という意味になります。

人のためならず=他人のためではない=「自分のため」と解釈するのが正しく、人のためならず=「その人のためにならない」と解釈するのは間違えです。

本当に「良い報い」は返ってくるのか?

大阪大学大学院人間科学研究科の清水真由子特任研究員、大西賢治助教らの研究グループが、「情けは人の為ならず」を科学的に実証しました。(大阪大学 最新研究成果リリース 「情けは人の為ならず」)

親切が広く交換される仕組みを、大阪府内の保育園で5~6才の幼児を対象とし、一年かけて日常生活を観察して確認しました。

まず特定の12人を「親切児」として選び、親切児が「他児を手伝う」「他児に物を貸す」などの親切行動をとってから10分間に、周囲から受ける親切行動の回数を計測しました。

その結果は、1時間あたり5.58回で、平常時の0.47回を大きく上回りました。

研究グループは、「本研究が示した『他者間のやりとりから他者の評価を形成し、親切な者にはより親切に振舞う』という傾向は、社会間接互恵性の成立にとってもっとも重要なルールです。」としています。

実際に親切にされた子はもちろん、周りにいてその行動を見ていた子も、「親切児」に対して「親切行動」をとるという実験結果です。親切行動をしない時の10倍以上も、周りの人から親切にされることが実証されました。

人に親切にすると、自分も人から親切にされる、まさに「情けは人の為ならず」です。

この研究結果のように、親切な人がどんどん増えていくと、世の中からイジメや犯罪がなくなります。世の中からイジメや犯罪がなくならないのは、「大人は狡い(ずるい)」からかも知れません。

まとめ

情けは人の為ならず、めぐりめぐって己が身のため。分かっていても、面識がない人に情けをかけるのは、とても勇気のいることです。

「大人は狡い(ずるい)」ことは周知の事実なので、面識がない人に親切にされると、「なにか裏があるのでは」と勘ぐってしまいがちです。情けをかける側に、下心がなくても、受け手がどの様に感じているのか、正確に感じ取ることはとても難しいことです。

大阪大学が行った検証のように、純真無垢な幼児間では、「親切が広く交換される」こと、「情けは人の為ならず」は成立します。

純真無垢な大人を見たことがありません。

落語「佃祭」に登場する、与太郎のような、はんかくさい大人なら、笑って許せるのですが。

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