ちがくて・ちがくない・ちがかったは間違った日本語です~どこから広がったのか、なぜ間違った日本語なのか?

言葉

「違(ちが)くて」「違(ちが)くない」「違(ちが)かった」最近よく耳にする、とても耳障りな言葉です。

女子高生とかが使っている「新語」や「流行語」にはハイセンスなものがあるし、ちょっと笑えて許せるものもあるけど、これはいけません。

日本語が下手な外国人が使うならまだしも、日本人が使っているのは、とてもなげかわしいです。

秋田県の一部の方言で、「あるくない」のように動詞に「くない」をつける方言がありますが、「ちがうくない」「ちがくない」とは言いません。ちなみに「あるくない」は「あるんじゃない?・あるよね?」という意味で使われます。

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「ちがくて」「ちがくない」「ちがかった」はどこから広がったのか?

「違(ちが)くて」は「そうではなくて・違って」の意味で、「違(ちが)くない」は「違うよね?違うんじゃない?違ってない」の意味で、「違(ちが)かった」は「違った?・間違いだった」という意味で使われます。

これらの言葉は、関西地方の若年層で多く使われていた言葉が、流布したと考えられています。

いつごろから使われ始めたかは定かではありませんが、1998年頃には「ちがくて」「ちがくない」「ちがかった」という言葉が、首都圏でも使われるようになりました。(参考:五段活用動詞「違う」の形容詞型活用 石井由希子)

秋田県の一部の方言「あるくない」「するくない」のような方言的表現、動詞+「くない」が流布したと考えるには難があります。

方言を使う一部地域以外の秋田県内を含む東北地方の各県においても、「あるくない」を「あるよね?」とか「あるんじゃない?」という意味で理解できる人は、ほとんどいません。

関西出身・福岡出身の若者が、地元を離れ移り住んだ先々で、地元で使っていた言葉を使い続け、それに影響された若者が使うようになり、全国に広がったという説と、TV番組内で、馬鹿を売りにしている芸能人が、使っているのが放映され、全国に広がったという説が有力です。

誰が使い始めたのか?

推測(諸説)

日本語を上手に話すことのできない外国人が話すのを聞いた、関西地方の若者の一人が外国人の発音を真似て「ちがくて」「ちがくない」と言ったのがはじまり。

はっきり発音できない(滑舌が悪い*「滑舌」は、放送業界の用語)人を、関西地方の若者が揶揄(やゆ)して真似て「ちがくて」「ちがくない」と言ったのがはじまり。

関西地方の若者または芸人が、ウケをねらって、わざと間違った言葉「ちがくて」「ちがくない」と言ったのがはじまり。

なぜ間違った日本語なのか

「違う」は、動詞(自動詞)です。

「ちがくて」「ちがくない」「ちがかった」は、「違う」または「違い」を形容詞的に活用している言葉で、間違った日本語です。

形容詞の活用形のうち連用形は、語幹に「く」「かっ」が付き、{ない}・{た}などの付属語が接続されます。

例)「あくどい」の連用形 : あくど・く{ない}。あくど・かっ{た}

「違い」は、動詞「違う」の連用形で、名詞に転用された語です。

「違う」も「違い」も形容詞ではないので、形容詞の活用形を用いることはありません。

間違った日本語なので、公的な場や職場、とくに目上の人には使用しないのが無難です。というか、間違えた日本語を使うのはやめましょう。

「違う」は英語で「differ」(動詞)、「違い」は英語で「difference」(名詞)です。「different」は「differ」の形容詞形で意味は「違った・異なった」です。

「ちがくて」「ちがくない」「ちがかった」、正しい英語にできますか?

正しい「違う」の活用

「違う」は、五段活用動詞です。

「違う」の正しい活用は「ちがわない/ちがいます/ちがった/ちがう/ちがう/ちがえば」となります。

「違う(ちがう)」の活用形 *{ }は、接続する主な付属語

未然形 : ちが・わ{ない}。ちが・お{う}

連用形 : ちが・い{ます}。ちが・っ{た}{て}

終止形 : ちが・う{そうだ}{から}{けれど}

連体形 : ちが・う{ようだ}{ので}{のに}

仮定形 : ちが・え{ば}

命令形 : ちが・え 

まとめ

「ちがかった」、はじめて聞いたときは、意味がわかりませんでした。

女子高生とかが使う「新語」のように、「ちがう」本来の意味とはかけ離れた意味で用いられる言葉?と感じてしまったので・・・。

「ちがくて」「ちがくない」「ちがかった」は新語で、この先、共通語になるという持論を展開している人がいますけど、「新語」にしては、あまりにも酷い(ひどい)。

「違う」とかけはなれた意味で使うならまだしも・・・これは単に「違う」の誤用です。

多くの人が用いたら、なんでも共通語になるという認識は捨てましょう。

「新語」が次々と生まれ、その中から、本当に良い言葉(語)、必要な言葉、だけが共通語としてのこります。酷い新語は、使わずに捨てましょう。