赤の他人・真っ赤な嘘・赤裸裸・赤心~赤色じゃないのに、なぜ赤なの

言葉

赤は、色の名前として用いられる前、「明るい」・「明らかなこと」を意味する言葉だったといわれています。

赤の他人・うそのように、赤が名詞の前について「赤の」とか「赤な」のような形で使われたとき、赤は「全くの」・「明らかな」という意味で用いられます。

赤裸裸せきらら赤心せきしんのように、赤が名詞の前について、使われたとき、赤は「全くの」・「ありのまま」という意味でも用いられます。

赤は何に由来している語なのか?赤の他人・真っ赤な嘘・赤裸裸・赤心など赤色じゃないのに、なぜ赤を使うのか?言葉の意味もふくめて、わかりやすく解説します。

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赤は「光」に由来する語

もともと、「赤」は、「明かし」と同様に、光の感覚を表現した言葉です。

「あか」は、「くろ(暗)」の対で、「明るい」・「明らかなこと」を意味する言葉だったといわれていています。

平安時代に「赤」は色としても用いられますが、色に限定されて使われることはなく、「あかい」=「明るい」という意味でも使われつづけます。

今でも、西日本の一部の方言(但馬の方言?)では、「あかい」=「明るい」という意味で、使われています。

赤の他人・真っ赤な嘘の赤とは

赤の他人・真っ赤なうその赤は、赤色ではありません。

赤の他人などの「赤」は、”全く。明らか”という意味。

赤の他人は、”全くの他人”という意味です。

赤の嘘は、”明らかな嘘”という意味です。

赤の素人しろうとは、”全くの素人・明らかな素人”という意味です。

真っ赤な嘘の「真っ赤」は、”まるっきり。まぎれもなくそうであるさま”という意味。

真っ赤な嘘は、”まぎれもない嘘”という意味です。

赤裸裸・赤心の赤とは

赤裸裸・赤心の赤は、赤色ではありません。

赤裸裸・赤心などの「赤」は、”全くの。ありのままの”という意味。

赤裸裸せきららは、”ありのまま、つつみかくしのないこと。むきだし”という意味です。

赤心せきしんは、”ありのままの心。いつわりのない心。まごころ”という意味です。

赤恥あかはじは、”全くの恥。ひどい恥。あかっぱじ”という意味です。

赤貧せきひんは、”全くの貧乏。ひどい貧乏”という意味です。

 

備考)・いつわりのない心を「あかきこころ(明き心)」といいますが、この言葉は、「赤心」を訓読した言葉といわれています。

・赤恥は、”あかっぱじ”として使われることが多い言葉です。

まとめ

赤を色と関係のない意味で用いた言葉には、赤の他人・赤の嘘・赤の素人・真っ赤な嘘・赤裸裸・赤心・赤恥・赤貧などがあります。

これらの言葉の「赤」は、「全くの」・「明らかな」・「ありのまま」という意味で使われています。

今では、赤というと、色の赤をイメージしがちですが、大昔は、「あか」=「明るい・明らか」とイメージするのが普通だったようです。

電気も街灯もない時代、月の明かりをでることで、「あか」という言葉がうまれたって想像すると、当時の人たちの心の余裕みたいなものが感じとれますね。

ちなみに、「赤」を使った言葉には、赤味噌・赤土・赤ちゃん・赤とんぼ・赤飯など色の赤に由来する言葉も数多くあります。

**「月の明かりを愛でることで、「あか」という言葉がうまれた」は、私の想像です。根拠となる文献などはありません。あしからず。