童謡(どうよう)は、子供のためのうた、子供のうた。
童謡の日は
1984年(昭和59年)に
日本童謡協会(現在の一般社団法人日本童謡協会)が定めた記念日です。
なぜ定めたのか?というと
子供達のものとなる童謡の創造とその普及、童謡の飛躍(ひやく)と隆盛(りゅうせい)を目的として。
なぜ7月1日なのか?というと
1918年(大正7年)7月1日に、童話・童謡雑誌「赤い鳥」が創刊されたことを記念して。
”童謡は、かつて大正7年7月1日、
「芸術として真価ある純麗な童話と童謡を創造する最初の運動」として発刊された雑誌『赤い鳥』が喚起(かんき)して以来続く、
世界にほとんど例をみない優れた子どもたちの文化所産であります。”
「童謡の日宣言」(昭和59年6月26日 日本童謡協会会長 中田喜直)より抜粋
童話・童謡雑誌『赤い鳥』について紹介させていただきます。
赤い鳥とは
「赤い鳥」は、1918年(大正7年)7月から1936年(昭和11年)8月まで、途中2回の休刊をはさんで17年間発行された童話・童謡雑誌です。
創刊号の低価は、18銭(せん)。現在の物価にすると、およそ750円。
※大正期の小学校の教員の初任給は約50円。現在の平均(大卒)は約20.8万円。1銭は0.01円
創刊当初から、よく売れた雑誌で、創刊の1年半後には最盛期をむかえ、発行部数3万部をこえました。創刊号は、1万部発行して、返品はわずか、1割に満たなかったといいます。
赤い鳥の童謡
詩人の北原白秋が中心となり、作曲家の成田為三、山田耕筰などが、『赤い鳥』の童謡をきずいた。
北原白秋が『赤い鳥』で発表した童謡は、
「りすりすこりす」:りす りす こりす ちょろちょろこりす 作曲:成田為三
「赤い鳥小鳥」:あかいとり ことり なぜなぜ あかい あかいみをたべた 作曲:成田為三
「雨」:あめがふります あめがふる あそびにいきたしかさはなし 作曲:弘田龍太郎
「からたちの花」:からたちの花がさいたよ 白い白いはながさいたよ 作曲:山田耕筰
「この道」:このみちは いつかきたみち あぁそうだよ あかしやのはながさいてる 作曲:山田耕筰
など多数
創刊号で発表した「りすりすこりす」には、当初、曲がありませんでした。
北原白秋は童謡を、音楽ではなく、自由に節(ふし)をつけて声に出す文芸と考えていたようです。
”童謡は歌う謡(うた)でなければなりません。尤も(もっとも)謡うといっても唱歌のように作曲されたままで謡うというのでなく子供心の自然な発露(はつろ)から、とりどり自由に謡い出すという風が本当でしょう。それは極めて単純な節廻しでです。”
(赤い鳥・1919年3月号 北原白秋)