時の記念日は
1920年(大正9年)に
生活改善同盟会(1920年1月から1933年11月まで)が定めた記念日です。
なぜ定めた記念日なのか?というと
「時間を正確に守ることの大切さ」「時(とき)の大切さ」の理解をふかめ、日本中に広めることを目的として。
なぜ6月10日なのか?というと
日本書紀に、671年(飛鳥時代の天智天皇10年)4月25日に、初めて時を知らせたと書いてあったから。
天智天皇(てんじてんのう)10年4月25日「漏剋(ろうこく)を新台(あたらしきうてな」におき、はじめて候時(とき)を打つ」
この日を太陽暦にすると、6月10日になるという故事(こじ)にもとづいて、
時の記念日は6月10日に定められました。
時の記念日制定の経緯(けいい)、近江神宮(おうみじんぐう)の漏刻祭(ろうこくさい)について紹介させていただきます。
記念日制定の経緯
1920年1月 文部省(2001年文部科学省に再編)の外郭団体(がいかくだんたい)として「生活改善同盟会」発足。
発足当時は、衣食住をはじめ社会生活の近代化促進をめざしていた時代。「時間を守ること」が大切で、時間を節約することによる効率性の向上が近代生活の基本と位置づけられていた時代です。
生活改善同盟会には、渋沢栄一など政財界の有力なメンバーが役員として参加。
1920年5月16日から7月4日
生活改善同盟会と文部省との共催で、「時の展覧会」を行う。東京教育博物館(現在の湯島聖堂)で、古時計・暦・天文関係の資料・時間節約による作業効率化のための資料など出展。
展覧会の開催中に、東京天文台長の河合章二郞が、記念行事を提唱。
記念行事を行い、「時の大切さ」の理解をふかめ、広めることになり、
生活改善同盟会が中心となって
6月10日を「時の記念日」と制定しました。
漏刻(ろうこく)とは
漏刻(ろうこく)は、底に穴のあいた器に水をいれ、漏れていく水の量から時をはかる水時計。
中国から伝わったといわれていて、
日本で初めて漏刻が作られたのは、
660年(飛鳥時代の斉明6年)に、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)よって。
近江神宮漏刻祭(ろうこくさい)
近江神宮のご神祭は、天智天皇(てんじてんのう)。
天智天皇は、時の祖神(そしん)で、開運・導きの大神(おおかみ)、文化・学芸・産業の守護神です。
近江神宮の漏刻祭は、時の祖神である天智天皇に感謝の祈りを捧げるとともに、社会と文化の発展・産業繁栄・家内安全を祈願する祭典です。
近江神宮では、1941年(昭和16年)から毎年、
「時の記念日」にあたる6月10日に「漏刻祭」を斎行しています。