使うと恥ずかしい、年代を感じる名詞の第1位に選ばれた「アベック」ですが、昭和初期(1930年頃)には一部のモダンな人達だけが使っていた、とってもお洒落な言葉でした。
今は、恋人同士をさすときに「カップル」が多く使われますが、当時はカップルより、ハイカラなイメージの強かった、「アベック」がより多く使われていました。
恋人同士をさすアベックは、日本で生まれた和製フランス語です。
アベックの語源
アベックの語源はフランス語のavecです。
フランス語のavecは、前置詞で「~とともに」の意味で、英語のwithと同じです。
広辞苑でアベックをひくと、「フランス語avec前置詞で『~とともに』の意」「男女、特に恋人同士の二人づれ」とあります。
恋人同士をさすアベックは、日本で生まれた和製フランス語です。
フランス語のavecには、「男女や恋人」の意味は全くありません。日本語のアベックが「男女や恋人」を意味するようになった理由には諸説ありますが、なかでも最も有力だと思われる説を紹介します。
『アベック語源考』(1960年代・大岡昇平著)のなかで「アベックという言葉は昭和2年頃に生まれた」として、その語源を次のように記しています。
誕生当初の「アベック」という言葉は、若い学生の清い交際を言うための言葉でした。
この当時すでに「恋人同士」を「カップル」と呼んでいましたが、若者を中心に「アベック」を使う人が増え、1962年(昭和37年)ころには、大半の人が「アベック」を使うようになりました。
変化するアベックの意味
アベックの意味は、「~とともに」「男女、特に恋人同士の二人づれ」の二つです。
今でも「~とともに」の意味で、アベック優勝・アベックホームランという言葉で使用されています。一方で「男女、特に恋人同士の二人づれ」の意味で、現在はほとんど使われる事がなくなりました。
文化学院の生徒が生んだ「アベック」という言葉は徐々に普及し、学生の清い交際という意味から少しづつ変化していきます。
『モダン用語辞典』(1930年・喜多壮一郎)では、「アヴェクAvec仏、同伴という意味のハイカラな気取った用法。(略)これを使う日本のモダン人達は特に、婦人と同伴する意味に限って用いる」と記されています。
アベックが誕生してわずか3年ほどで、アベックは大人の交際「同伴」という意味に変化し、さらに「いやらしい」イメージの言葉へと変化していきます。
1930年代の後半になると、アベックは「人目を忍んで逢瀬をかさねる男女」というイメージで浸透していきます。
この時期の日本では、いわゆる連れ込み宿を「アベックホテル」「アベック旅館」と呼ぶようになり、性風俗や犯罪等をあつかう大衆雑誌(カストリ雑誌)の名前にアベックが使われたこともあり、アベックは「いやらしい関係の男女」という意味に変化しました。
このころ街中を堂々と歩く恋人同士は「カップル」とよばれ、「アベック」は公衆の面前から姿を消します。
「いやらしい語」へと堕落したアベックが、再び日の目を見るのは、1962年ころでした。
1962年10月から1968年3月まで放送されたテレビ番組『アベック歌合戦』が火種となり、アベックは更生します。『アベック歌合戦』は男女のカップルが登場して歌う視聴者参加型の番組で、司会の故・トニー谷さんが番組冒頭の挨拶で使った「レディース アンド ジェントルマン アンド お父さん お母さん おこんばんわ」や番組の中で使われた「~ざんす」は当時の流行語になりました。
人気司会者のトニー谷さんの明るいキャラクターと出演した男女の印象で、番組名にも使われたアベックは「健全な恋人同士」「明るい恋人同士」という意味に変化し浸透していきます。
番組がスタートした1962年当時のテレビ(白黒)の普及率は79.4%、番組が終了した1968年当時のテレビの普及率は、白黒テレビ96.4%カラーテレビ5.4%で、ほぼ全世帯の家庭でテレビを楽しめるようになっていました。
テレビの影響は大きく、この時期アベックは一気に全国へ普及し、「アベック」=「恋人同士」と認知されます。
アベックはいつから死語になったのか?
1962年(昭和37年)ころに更生したアベックは、そこから1970年代後半まで、恋人同士を意味する言葉として頻繁に使われていました。
恋人同士を意味するアベックが使われなくなった理由は、アベックに変わりカップルを使う人が一気に増加したからで、その要因はテレビ番組と漫画だと考えられます。
1975年12月から全国放送になったテレビ番組「プロポーズ大作戦」の人気コーナー「フィーリングカップル5VS5」の影響で、若者を中心にカップルを使う人が増えていきます。
この時期は「プロポーズ大作戦」の他にも「パンチdeデート」「ラブアタック」などのカップル成立を楽しむテレビ番組が人気になっていて、当時の若者のカップルに対する関心の高さをうかがい知ることができます。
1978年には柳沢きみおさんの漫画「翔んだカップル」が雑誌で連載されました。この漫画は後にテレビドラマ化され、さらには映画化されるほどの人気で、カップルという言葉は、またたく間に全国に広がりました。
「フィーリングカップル5vs5」と「翔んだカップル」の影響もあり、1970年代後半から、恋人同士を「カップル」と呼ぶ風潮が、若者を中心に全国に浸透し、1980年代には恋人同士を「アベック」と呼ぶことはほとんどなくなりました。
ただし、昭和の終わり1988年(昭和63年)2月におきた殺人・集団強姦事件(名古屋アベック殺人事件)では、アベックが使われており、事件などをマスメディアで報道する場合は、現在も「カップル」を使わず「アベック」を用いることが多いようです。
昭和を感じる死語になった言葉
マイナビウーマンが、「使うと恥ずかしい!?年代を感じる昭和な名詞を教えて下さい」という質問をした結果です。
1位 アベック(カップル)29.6%
2位 乳母車(ベビーカー)22.9%
3位 パーマ屋(美容室、ヘアサロン)21.9%
4位 メリケン粉(小麦粉)18.6%
5位 国鉄(JR)14.2%
1位 アベック 1927年(昭和2年)頃~
現在は「カップル」と呼ばれています。アベックは「~とともに」という意味で、現在もアベック優勝・アベックホームランなどスポーツ報道で頻繁に使用されています。
2位 乳母車
1867年(慶応3年)に福沢諭吉が米国から持ち帰ったのが日本ではじめての乳母車とされていますが、いつから乳母車と呼ばれたかは不明です。
現在は「ベビーカー」と呼ばれてますが、本来「乳母車」と「ベビーカー」は別物です。乳母車はベッド型でベビーカーは椅子型です。
3位 パーマ屋
1935年(昭和10年)ころ大流行した電髪がパーマの前身です。1960年代前半に、パーマの主役はコールドパーマにかわります。いつからパーマ屋と呼ばれたかは不明です。
現在は「美容室・ヘアサロン」と呼ばれています。
4位 メリケン粉 明治時代初期~
米国から輸入された精製された小麦粉のことで、日本のうどん粉と区別するために用いた言葉です。現在も関西方面でよく耳にします。
現在は「小麦粉」と呼ばれています。
5位 国鉄 1949年(昭和24年)6月1日~1987年(昭和62年)3月
1987年4月1日に民営化されたあと、一気にJRという言葉が浸透しました。
現在は「JR」と呼ばれています。
この調査で登場しなかった、昭和を感じる死語には、花金・バタンキュー・ナウなヤングなどがあります。
花金 1985年(昭和60年)~
週休2日制導入で使われようになった言葉で、花の金曜日の略語です。
バタンキュー 戦後の混乱期~
疲れ果てて、布団に倒れて寝ることです。
ナウなヤング 1970年頃~
今時の若者、イカした若者のことで、Now(今・ナウ)なyoung(若い・ヤング)のことです。
まとめ
大辞林で死語をひくと、
①過去に使用された言語で、今では一般の言語生活上使われなくなった言語。古代ギリシャ語・古代ラテン語など。
②「廃語」に同じ
とあります。
同じ大辞林で廃語をひくと
現在は全く用いられなくなった言葉。死語。廃用語。
とあります。
死語は元来、全く用いられなくなった言語や言葉をさすので、アベックも乳母車も本当の死語ではありません。
近年、ネットの世界では昭和を感じる言葉のような、時代遅れの言葉を大げさに「死語」とよび、楽しむ風潮があります。
もともとアベックには恋人同士という意味はなく、文化学院の生徒が、若い学生の清い交際をさす言葉として、当時流行りかけていたフランス語の「アベック」を使い、それが浸透し徐々に意味が変わって、世間に「アベック」=「恋人同士」と認知され、ついには広辞苑などの辞典に載る言葉になりました。
現在、女子高生などが使っている難解な造語(言葉)や、ネットの世界で使われている造語も、将来、辞書に載る日がくるかも知れません。