こうがい(蝗害)とは?~なぜ発生し、どのように終息するのか・日本の実例

蝗害 話題

バッタの大群が農作物などを食べつくすなど害をおよぼすことを「蝗害(こうがい)」といいます。

イナゴを漢字表記すると蝗であるように、イナゴの群れによる害を「蝗害」とする、という解釈もありますが、多くのメディアや文献などでは、イナゴに限らずバッタによる害を「蝗害」といっています。

日本でも、蝗害は多く発生しています。

1880年(明治13年)から5年間北海道で続いたトノサマバッタによる蝗害、1986年鹿児島県馬毛島の山火事跡地から発生したトノサマバッタによる蝗害など、江戸期から昭和期にかけて北海道・千葉県・神奈川県・小笠原諸島・福岡県・沖縄県などにおいて蝗害とおもえる記録があります。

近年では、1995年・2007年関西国際空港の一期島・二期島でトノサマバッタが大量発生しました。

バッタが大量発生する原因の一つは、「普段は乾燥している地域に、サイクロンやハリケーンなどで大雨が降ること」と考えられています。

バッタが死滅しないと、蝗害は終息しません。

「外国でバッタの大群を見学していた女性が、バッタの大群に巻きこまれ、緑色の服を食いちぎられた」という逸話もあるくらい、大群になったバッタは貪欲です。

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なぜバッタは大量発生するのか

ふだんは乾燥している砂漠などの地域に、サイクロンやハリケーンなどで大雨がふると、その後、草原ができます。

ふつうのバッタは、低い密度で生活します。このようなバッタを「孤独相」といい高い密度で生活するバッタを「群生相」といいます。

バッタが「孤独相」から「群生相」へ相変異すると、バッタは大量発生します。

孤独相のバッタは、草のあるところで産卵しますが、孵化ふかするころには草が少なく、その場では生活できなので、新しいエサ場をもとめて飛び立ちます。

ところが、大雨がふると、エサとなる草が大量にあるため、バッタは同じ場所で繁殖はんしょくをくりかえし、密度がましていきます。

密度がますと、幼虫のバッタ同士が接触しあい、その刺激でバッタは性質がかわり群生相のバッタになります(相変異)。

群生相のバッタは、はねが長く、後ろ足が短く、背中の筋肉が縮小し、飛びやすくなり、エサの草がなくなると、次のエサをもとめて大群で移動します。

群生相のバッタは1日に100Km以上も飛び、途中で小さい群れ同士が合流して、群れはどんどん大きくなります。

日本には砂漠のような乾燥地域はありませんが、大規模な開拓地や埋立地のような人工的に造成された土地、山火事の跡地などでまれにバッタが大量発生します。

日本におけるバッタの大量発生は、「大雨が直接の原因ではない」と考えられていて、その原因は、「広い産卵場所となる裸地があること」「エサとなる草が豊富にあること」「天敵がいないこと」の3つの条件がそろうことと考えられています。

※台風・サイクロン・ハリケーンは発生する地域によって呼び名が違うだけで、すべて同じ現象です

※イナゴは年に一回産卵・サバクトビバッタは年に三回程度産卵・トノサマバッタは年に二回産卵します。

北海道の蝗害

1880年(明治13年)から1884(明治17年)までの5年間北海道で続いた蝗害。

1880年8月~ 十勝国河西郡(現:芽室町・中札内村・更別村)と中川郡(現:幕別町・池田町・豊頃町・本別町)に発生したトノサマバッタの大群は、付近の草原を食いつくしたのち、日高国(現:日高地方)を経由して現在の胆振地方・石狩地方・空知地方・後志地方に達する。入植者の家屋の障子紙まで食いつくされる壊滅的な被害

1881年 蝗害が再び発生。蝗害は渡島国軍川(現:七飯町軍川)まで広がる

1883年 蝗害は、道南の日本海側にまで達する

1884年9月 終息

北海道の蝗害は、昭和初期まで断続的に観測される。

発生した原因

1875年(明治8年)9月27日、道東の太平洋沿岸を台風が直撃。

十勝川と利別川が合流する(現:豊頃町)あたりの広い範囲で沖積層ちゅうせきそうが露出し、その後草原が出現。

その後、数年間好天が続いたことで、トノサマバッタが大量発生します。

台風による、大雨が直接の原因ではなく、沖積層が露出したことで、広大な産卵場所と、エサとなる草を大量に手にし、天敵がいなかったことが、大量発生の原因と考えられています。

十勝地方で発生した、トノサマバッタの大群は、当時、大規模な開拓が行われていた北海道南西部へと、勢いをまして広がっていきました。

終息までの経緯

1880年 陸軍が大砲を撃ち込むなどして駆除に努める。効果はなく各地で壊滅的な被害

1881年 駆除のため捕獲したバッタの数は、360億匹を超える。効果のほどは不明ですが、翌年以降も蝗害は続きます

1883年 150人のアイヌをやとい、124万坪(約410ha)を掘り起こしてサナギを駆除。約450立方メートルにおよぶサナギを駆除するが翌年も発生する

1884年 のべ3万人のアイヌが駆除にあたるが終息せず

1884年9月 長雨により、多くのバッタが死滅、繁殖にも失敗して終息を迎える

関西国際空港の大量発生

1995年 関西国際空港の一期島で、トノサマバッタの大量発生。

生息可能域(127ha)において、ピーク時には、推定で成虫・幼虫をあわせて1,338万匹

1995年に、密度の濃い状況を脱しますが、1997年まで、やや密度の濃い状況はつづきます。

1997年 終息

2007年6月 関西国際空港の二期島で、トノサマバッタの大量発生。

生息可能域(139ha)において、ピーク時には、成虫・幼虫をあわせて、推定3,884万匹

2007年7月 終息

発生した原因

埋め立てした人工的な造成地で、産卵場所となる広大な裸地があり、エサとなる草が豊富にあり、天敵がいなかったことが原因と考えられています。

これは、日本でトノサマバッタが大量発生する、ほとんどの場合にあてはまる原因です。

一般的にいわれる、大雨が直接的に影響する、バッタの大量発生は、砂漠などの乾燥地域がない日本ではみられません。

終息までの経緯

一期島での大量発生

1995年・96年・97年 MEP乳剤を散布し防除。防除率は場所によって57%から99%。

1996年3月 「セアカゴケグモ」による成虫の補食を確認

1997年6月 トノサマバッタの寄生菌「エントモファガ・グリリ」による成虫の死亡を確認

1997年10月 終息

二期島での大量発生

2007年6月 群生相のトノサマバッタを多数確認。

6月9日より19日まで 調査およびMEP乳剤を散布し防除

6月9~11日 トノサマバッタの推定生息個体数=3,884万匹

6月12日  1,077万匹

6月14日  186万匹

6月19日  95万匹

6月29日  14万匹

6月下旬  トノサマバッタの寄生菌「エントモファガ・グリリ」を確認

2007年7月 終息

まとめ

バッタの大群が農作物を食いつくすなど害をおよぼすことを「蝗害」といいます。

蝗害の多い外国では一般に、「乾燥地域にサイクロンやハリケーンなどで大雨がふり、そこにエサとなる草原が出来ること」でバッタが大量発生すると考えられています。

乾燥地域のない日本では、人工的な造成地や山火事の跡地などのような、「産卵場所となる広大な裸地があること・エサとなる草が豊富にあること・天敵がいないこと」の条件がそろうことでバッタが大量発生すると考えられています。

群生相のバッタが死滅しなければ、蝗害は終息しません。

群生相のバッタを死滅させるには、早期にMEP乳剤などで防除を行うことが有効。

明治期に北海道でおきた蝗害では、早期に有効な防除ができなかったため、5年間も蝗害に苦しめられました。

また、日本での実例からMEP乳剤のような薬品だけでは完全に死滅させることが難しいことが分かります。

北海道の蝗害を終息させたのは「長雨」、関西国際空港の蝗害を終息させたのは「寄生菌・エントモファガ・グリリ」。

蝗害を完全に終息させることが出来るのは、自然のもつ力だけなのかも知れませんね。

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