二の舞を踏むという言葉の意味を間違えて使っていませんか?

言葉

前の人と同じ失敗をすることを「二の舞(にのまい)」「二の舞を演じる(えんじる)」「二の舞を踏む(ふむ)」といいます。

「急騰で始まった株式相場 96年の二の舞許すな」(2018年1月10日 日本経済新聞 電子版)

「ケガだけは・・・阪神 糸井に自主トレやり過ぎ禁止令 昨年の二の舞ゴメン」(2018年1月22日 スポニチSponichi Annex)

新聞などでもよく使われる「二の舞」という言葉は、舞楽(ぶがく)由来の由緒ある言葉です。

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二の舞 の意味と由来

二の舞を辞書でひくと

① 舞楽の一つ。右方の壱越(いちこつ)調の中曲。「安摩(あま)」の答舞で、咲面(えみめん)をつけた老爺と腫面(はれめん)をつけた老婆が安摩の舞を滑稽(こっけい)にまねる。

② 人のまねをすること。特に、前の人と同じ失敗をすること。「―を演ずる」「―を踏む」

と載っています。

日常会話では、②の意味「前の人と同じ失敗をすること」で使われます。

①の「舞楽の一つ」は、②の意味の『二の舞』の由来となっている「舞楽」を指しています。

この舞は古来「安摩」と「二の舞」二つで一つの舞楽でした。いつしか「二の舞」の伝承は失われ、今日では「安摩」のみが伝えられています。

正式な伝承のない二の舞ですが、「安摩の舞人(まいにん)が舞を終えたあと、二の舞を舞う咲面の老爺と腫面の老婆が登台し、老爺が安摩を舞う舞人に笏(しゃく)を乞うて失敗するところから初まり、二人で安摩の舞をまねしようとするけど拙(つたな)く、最後は老爺老婆ふたり揃ってふらふらになって退出する舞」とう説が有力です。

『二の舞』は、安摩のまねをする二の舞から「人のまねをすること。」、二の舞を舞う二人の舞人の様子から「前の人と同じ失敗をすること。」という意味で使われる言葉になりました。

舞楽は平安時代に大成されたといわれています。二の舞がいつから演じられていたかは定かでありませんが、『二の舞』という言葉は平安時代から使われていたかも知れません。

二の舞を演じる・二の舞を踏む の意味

二の舞を演じる・二の舞を踏むの意味は、「人のまねをする。特に、前の人と同じ失敗をすること」です。

「二の舞を踏む」はかつて「二の舞を演じる」と「二の足を踏む」とを混同した誤用とされていました。

現在では『三省堂国語辞典第6版(2007年12月発売開始)』のように、「二の舞」の項目に「二の舞を演じる」「二の舞を踏む」「前回の二の舞になる」と記載のある国語辞典があり、「二の舞を踏む」は正用とされています。

なぜ「二の舞を踏む」が誤用とされたか、いつから「二の舞を踏む」が誤用とされたかは、定かではありません。

1965年(昭和40年)ころまでは、新聞などでも「二の舞を踏む」は使われていましたが、1980年(昭和55年)ころになると「二の舞を踏む」は「二の舞を演じる」の誤用とされています。

ネバー・アゲイン・スクール(朝鮮戦争の二の舞を踏んで、アジア大陸での陸上戦闘に巻き込まれてはならないとの戦略思想派)『朝日新聞』1965.3.28

「二の足を踏む」との混用 『朝日新聞用語の手びき』(初版 1981年)

古くは、舞の動きを「踏む」と言い、今日(こんにち)でも滑稽な舞の「三番叟(さんばそう)」は「踏む」ということ、「二の舞を踏む」が広く使われていることから「二の舞を踏む」は辞書に載るようになり正用とされました。

間違えやすい「二の舞を踏む」の意味

「二の舞を踏む」と「二の足を踏む」は似て非なる慣用句です。

「二の舞を踏む」は「人のまねをする。特に、前の人と同じ失敗をすること」という意味で使われます。「くり返し」という意味で「二の舞を踏む」を使うのは間違いです。

「二の足を踏む」は「〔一歩目は進むが、二歩目はためらって足踏みする意〕決断がつかず実行をためらう。しりごみする。」という意味で使われます。

告白にしごみする気持ちを表現したいなら「彼女への告白に二の舞を踏んだ」は間違いです。正しくは「彼女への告白に二の足を踏んだ」です。

「彼女への告白に二の舞を踏んだ」だと、「誰かのまねをして告白したけど失敗した」という感じに捉えられます。 これだと単なるアホですよね。

新聞などで「二の舞を踏む」「二の足を踏む」は、次のように使われています。

アフリカがかつてのアメリカ大陸の二の舞を踏むような事態は誰も望んでいない。

次は習氏がムガベの二の舞を踏むことになるのでしょうか?

政府は消費税率を上げることに二の足を踏みました。

法的なトラブルへの懸念から仲介に二の足を踏む業者もいる。

「二の舞を演じる」「二の舞を踏む」と同じ意味の慣用句

「二の舞を演じる」「二の舞を踏む」と同じ意味の慣用句に「轍(てつ)を踏む」があります。

「轍を踏む」は「〔転倒した前の車のわだちのあとを踏む意から〕前の人の失敗をくり返すたとえ。」です。

新聞など読んでも、「二の舞を踏む」と「轍を踏む」の使い分けの定義は分かりませんでした。しいて言うなら「轍を踏む」は、かたくるしい記事に多く使用されているようです。

仕事の成果で給与を決める「脱時間給制度」は、与野党の政争に翻弄(ほんろう)されてきた歴史。今回も同じ轍を踏みかねないと不安の声が広がる。

製薬業界、たばこ業界の轍を踏むか

製薬業界が薬を作らなくなる日 半導体産業の轍を踏まないために

ネット上で「二の轍を踏む」という間違えた言葉をよく目にします。

轍(てつ)は車の通ったあとに出来る「わだち」のことで、二の轍では意味をなしません。「二の舞を踏む」「二の足を踏む」「轍を踏む」の混用と思われます。

「二の轍を踏む人々」「日本の二の轍を踏む現状では長期低迷は避けられない」などという使い方は、明らかな誤用です。

まとめ

「二の舞を踏む」は昭和の一時期に、「二の舞を演じる」と「二の足を踏む」の混用で「二の舞を演じる」の誤用とされていた慣用句です。

現在「二の舞を踏む」は「二の舞」「二の舞を演じる」と同じく「人のまねをする。特に、前の人と同じ失敗をすること。」という意味で、新聞などのメディアでも使用されています。

「二の舞を踏む」と、「くり返し」や「二の足を踏む」は、同じ意味ではありません。「反復すること」「しりごみすること」の意味で「二の舞を踏む」を使うのは間違いです。

「二の舞を踏む」と同じ意味をもつ慣用句は「轍(てつ)を踏む」です。

日本語には、発音が同じで意味の違う言葉や、発音が似ていて意味の全く違う言葉、同じ意味で異なる言葉があって、使い方に迷う言葉(語)がたくさんあります。「二の舞を踏む」は一時期、誤用とされていたこともあり、特に使い方を間違いやすく、使い方に迷う言葉です。

かつて誤用とされていた「二の舞を踏む」ですが、現在は新聞などで「二の舞を演じる」より多く使われています。言葉は時代によって変化します。いくつになっても、変化に対応し言葉の意味を正しく理解して、上手に使いこなしたいですね。