渋沢栄一(1840年~1931年)が関与した事業は、北は北海道から南は沖縄県まで、全国の約500の企業の育成と約600の社会公共事業や民間外交におよびます。
渋沢栄一は、最初の妻「千代」をコレラで亡くしたのち、「兼子」と再婚しています。
千代との間には「歌子」「琴子」「篤二」の3人、兼子との間には「武之助」「正雄」「愛子」「秀雄」の4人の子がいました。
正妻との間の子はこの7人ですが、彼らのほかに13人の子を認知または養子に迎えています。
渋沢栄一の子(敬称略)
渋沢栄一は女性関係が激しかったと言われています。
正妻以外の女性との間に子供をもうけ、認知しています。
― 正妻の子 ―
歌子(1863年~1932年) :法学者、穂積陳重男爵に嫁ぐ。
琴子(1870年~1925年) :大蔵大臣・龍門社理事長、阪谷芳郎子爵に嫁ぐ。
篤二(1872年~1942年) :澁澤倉庫会長。妻「敦子」は橋本実梁伯爵の娘。1912年廃嫡となる。
武之助(1886年~1946年):石川島飛行機製作所2代目社長。
正雄(1888年~1942年) :石川島飛行機製作所初代社長。日本製鐵副社長。
愛子(1890年~?) :澁澤倉庫会長。第一銀行頭取。明石照男(龍門社理事長)に嫁ぐ。
秀雄(1893年~1984年) :東宝取締役会長。東京宝塚劇場会長。
―養子―
平九郎(?~1868年) :最初の妻、千代の弟
―庶子(認知された正妻以外の子)―
ふみ(1853年~?) :尾高次郎(東洋生命社長)に嫁ぐ。
照子(?~1927年) :大川平三郎(富士製紙社長)に嫁ぐ。
星野辰雄(1893年~?) :星野錫(星野東京印刷社長)の養子になる。立教大学教授。
長谷川重三郎(1908年~1985年):第一銀行頭取。
渋沢栄一の孫(敬称略)
法学者、政治家、音楽家など、渋沢栄一の孫は、いろいろな分野で活躍しています。
穂高重遠 :歌子の長男。法学者。最高裁判官判事。
穂高真六郎:歌子の四男。朝鮮総督府殖産局長。朝鮮商工会議所会頭。参議院議員。
阪谷希一 :琴子の長男。満州国総務庁次長。
渋沢敬三 :篤二の長男。子爵。民俗学者。日銀総裁。大蔵大臣。祖父・栄一の後継者。
渋沢信雄 :篤二の次男。貿易商。澁澤倉庫監査役。
渋沢智雄 :篤二の三男。澁澤倉庫常務。
明石正三 :愛子の三男。足利銀行監査役。
明石武和 :愛子の七男。味の素常務。
渋沢一雄 :秀雄の長男。音楽家。アコーデオン演奏者。
渋沢華子 :秀雄の三女。小説家。
尾高豊作 :ふみの長男。実業家。教育者。
尾高朝雄 :ふみの次男。法哲学者。
尾高邦雄 :ふみの三男。社会学者。
尾高尚忠 :ふみの四男。指揮者。作曲家。
渋沢栄一のひ孫(敬称略)
学者、作曲家、競馬評論家、実業家など渋沢栄一のひ孫は、活躍の場をますます広げていきます。
阪谷芳直 :エコノミスト。思想家。翻訳家。
穂積重行 :西洋史学者。
岩佐美代子:国文学者。
石黒孝次郎:古美術商。レストラン経営者。
久留都茂子:東京女学館短期大学学長。
尾高煌之助:経済学者。
尾高忠明 :指揮者。
大川慶次郎:競馬評論家。
諸井勝之助:会計学者。
渋沢栄一の来孫(敬称略)
来孫(らいそん)は、5代目の子孫の呼び方です。
本人→1代目:子→2代目:孫→3代目:ひ孫→4代目:玄孫(げんそん/やしゃご)→5代目:来孫(らいそん)→6代目:昆孫(こんそん)
渋沢健 :コモンズ投信株式会社創業者。シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役CEO。
まとめ
渋沢栄一が新一万円札になることになりました。
日本全国に渋沢栄一が関与した事業があります。
子沢山だった、栄一の子孫は、様々な分野で活躍し、現在に至っています。
私事ですが、渋沢栄一の子孫で一番印象にのこっているのは、競馬評論家(予想家)の大川慶次郎。
第35回(平成2年)有馬記念で、「ライアン・ライアン・ライアン」と叫び続ける大川慶次郎・・・忘れられません。
ちなみに、1着はオグリキャップ、メジロライアンは2着でした。
(敬称略)