不知火(しらぬい)は九州の有明海や八代海で夜間に見ることができます。
かつて不知火は、龍神が灯す怪火(かいか)だと考えられていましたが、現在は漁船の漁火などが光の異常屈折によって空中に映る一種の蜃気楼のような現象だと考えられています。
不知火とは =現象=
不知火(しらぬい)は、九州の有明海や八代海で、旧暦8月1日(八朔)[旧暦と新暦は1ヶ月ほどのズレがあり、毎年同じ日になるわけではありません。2018年は9月10日です]頃の風のない新月の夜に、発生しやすいとされています。
旧暦8月1日ころ、有明海や八代海の干潟に、夜間の放射冷却によって局所的に冷気塊ができます。このときに海上の気温が高いと、複雑に存在する密度の異なる気塊が微風によって波状に移動します。これによって光の異常屈折が起こり、一つの漁火が無数に左右にのびて明滅する怪現象が起こります。
不知火とは、光の異常屈折によって、一点の漁火(いさりび)などが左右に細長くのびて明滅する現象です。
熊本県宇城市不知火町の永尾(えいのお)神社の境内から、不知火を見るのが最適と言われていますが、毎年見られるわけではなく、稀有な現象です。
不知火が光の異常屈折による怪現象だと分かる前は、龍神が灯すものだと考えられていて、不知火が出る日は、近隣の漁村で船を出すことを固く禁じていました。
不知火が光の異常屈折による怪現象だと分かった今でも、不知火の神秘的な魅力に多くの人が魅せられ、不知火町の『海の火まつり』には多くの人が訪れます。
不知火とは =言葉の意味・由来=
『日本書紀』によると、景行天皇が熊襲(くまそ)征伐に赴いたときに、この不知火を見たという記録が残っています。
一説では景行天皇が、正体不明の主の分らない怪火を『不知火(しらぬい)』と命名したとあります。
『迷信解』(井上円了著)には
「一火が分かれて両火となり、両火がさらに分かれて数点になり、あるいはまた一火となり、一方にありて滅するかと思えば他方にありて現れ、高きものは翔がごとく、低きものは走るがごとく、その出没する間は数里の長さに及ぶも、だれありてその所在を確かむることができず、これを確かめんと欲してその火のある所に行けば、たちまち消えて見えなくなり、そのなんたるかを知るものがない。」
「よってこれを不知火と名づけ、一大不思議として伝えられておる」
と記されています。誰が命名したかは定かではないけど、なんだか誰も分らない怪火を不知火と名づけたということです。
「火」は「ひ」(い)。
「なんだか分らない・知れない火」は『不知火』(しらぬい)と呼ばれるようになりました。
不知火の言い伝え
一年のうち、数時間だけ現れる『不知火』は、現在では光の異常屈折による怪現象で一種の蜃気楼のようなものと考えられていますが、いまだに多くの謎を残しています。
「景行天皇が九州に赴いたとき、闇夜の八代海で不思議な怪火を目指し、船をこぐと無事に沿岸に辿りつた」という言い伝えがあります。
その不知火伝説を現在に受け継ぐ『不知火 海の火まつり』が、毎年旧暦8月1日(八朔)に、熊本県宇城市不知火町で行われます。竜燈太鼓の演奏、松明行列、総おどり、海上花火大会、不知火観望などおおくのイベントが催されます。旧暦8月1日は2018年9月10日、「不知火海の火まつり」は前日の9月9日から開催される予定です。
かつて不知火は龍神が灯す怪火、妖怪と考えられ、不吉の象徴とされた一方で、
今昔画図続百鬼では、「筑紫の海にもゆる火ありて、景行天皇の御船を迎へしとかやされば歌にもしらぬひのつくしとつづけたり」と良い妖怪として紹介されています。
まとめ
かつては怪火として恐れられ、不吉の象徴とされた不知火は、景行天皇の伝説によって、幸運をもたらす神秘的な存在へと変わっていきます。
今では、光の異常屈折によって起こる現象と考えられいる「不知火」ですが、その神秘的な魅力に魅せらている人はたいへん多く、熊本県宇城市不知火町で開催される「不知火 海の火まつり」には、「不知火」を見ようと県の内外から多くの人が訪れます。
マンガ家、手塚治虫さんは「高1コース 1973年12月号」のなかで、「不知火研究」は私のSFマンガに少なからず影響を与えていると思う、と記しています。
手塚治虫さんが読んだ「不知火研究」の著者は不明ですが、「九州の有明海の”怪火”現象を分析、研究しながら、不知火をめぐる伝説、民話、伝承などを集めた”不知火見聞録”になっている」ということです。
怪火・不知火は手塚治虫さんのSFマンガに影響を与えていました。
神とか妖怪とか存在していた方が楽しいのかも知れませんが、かつては神とか妖怪とかの仕業だと思われていたことが、どんどん解明されていくのはとても興味深いことですね。