ちんどん屋~意味と由来と歴史~ちんどん屋は差別語なのか?

路上広告宣伝 言葉

関西地方では「東西屋」「広目屋」とも呼ばれる「ちんどん屋」。

ちんどん屋とは、派手な衣装をし、鉦(かね)・太鼓・ラッパなどを鳴らしながら、路上で広告や宣伝を行う「人」や「職業」を指す日本語です。

ちんどん屋の「ちんどん」は、彼らが鳴らす鉦と太鼓の音「チンチンドンドン」に由来します。

「ちんどん屋」は、現在も存在します。

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ちんどん屋の歴史

ちんどん屋の元祖は大阪千日前の飴売り「飴勝」といわれています。

1845年(江戸後期):竹製の鳴り物と売り声で人気になった「飴勝」が、寄席の客寄せを請け負い、拍子木を打ち鳴らし声をはりあげ客寄せをする。これが「ちんどん屋」の元祖と言われています。

大阪で「飴勝」の仕事を引き継いだ「勇亀」が『東西屋』と呼ばれるようになります。

1883年(明治16年):「勇亀」が芝居の口上をまねて「東西、トーザイ」と叫びながら広告をする。「勇亀」は『東西屋』と呼ばれ、以後路上広告業は『東西屋』と呼ばれるようになります。

東京で「秋田柳吉」が口上に楽隊を加え『広目屋』として活動を始めます。

1885年(明治18年):大阪出身の東西屋「秋田柳吉」が、東京で東西屋の拍子・口上に楽隊を加え『広目屋』と名乗り広告業を開始。以後彼の真似をする人が増えて路上広告業は『広目屋』と呼ばれるようになります。

明治中期『広目屋』は大阪に伝わり、『東西屋』も楽隊を取り入れるようになります。明治31年には、沼津・広島・岡山・伊勢路と43日間「ライオン歯磨」の巡回広告を行うなど、東西屋(広目屋)は、もてはやされます。

明治末期になると広告は新聞広告が主流となり、東西屋・広目屋は徐々に仕事を失います。

東西屋、広目屋は都市部から地方へと移動し、4~5人編成で鉦や太鼓を鳴らして広告をするかたちへと変わっていきます。

大正時代に、「当たり鉦」「締太鼓」「平胴太鼓」を組み合わせ一人で演奏できるようにした「太鼓セット」が考案され、多くの東西屋、広目屋がこれを用いるようになります。のちにこの太鼓セットは、ちんどん屋が使うことから「ちんどん太鼓」と呼ばれるようになります。

東西屋・広目屋は、鳴らす鉦の「チンチン」という音、太鼓の「ドンドン」という音に由来して徐々に『ちんどん屋』と呼ばれるようになり、昭和初期には、東西屋・広目屋は『ちんどん屋』として広く知れ渡ります。

1934年(昭和9年):「中央公論」に室生犀星(むろうさいせい)が「チンドン世界」を発表。東西屋、広目屋は『ちんどん屋』として世に知れ渡ります。

戦後、経済が急成長し、ちんどん屋は再び脚光を浴びることになり、全盛期をむかえます。

1950年(昭和25年)頃:商店の開店、売り出し、映画などの宣伝などで、ちんどん屋は引っ張りだこ。ブラスバンドをもつ10人以上で編成するちんどん屋も登場。この頃のちんどん屋は2500人、ちんどん屋の全盛期をむかえます。

昭和30年代の後半になるとテレビが一般家庭に普及し、徐々にちんどん屋の数が減っていきます。

昭和後期以降は、電光掲示板や電柱広告、ティッシュ配りなど様々な種類の屋外広告が登場し、ちんどん屋の数は激減します。

現在、ちんどん屋で生計をたてているプロのちんどん屋は50~60人ほどといわれています。

ちんどん屋の現在の主な仕事は、開店・売り出し・イベントなどの「街頭宣伝」、メーカー・量販店・行政などの「キャンペーン」、お祭り・イベント・パーティーなどの「余興」。

2019年4月に富山県で行われた「全日本チンドンコンクール」には全国からプロ・アマあわせて約250人のチンドン屋が参加しました。

ちんどん屋は差別語・放送禁止用語なのか?

ちんどん屋は差別語でもなければ、放送禁止用語でもありません。

差別語とは「特定の人を不当に低く扱ったり蔑視したりする意味合いを含む語(広辞苑)」です。

ちんどん屋は広告や宣伝などを行う「人」や「職業」を指す語です。「バーカ、あーほ、ちんどんや」みたいな使い方をする人がいるので、差別語と思われがちですが、ちんどん屋には差別語としての意味は含まれていません。

ちんどん屋を生業としている人は、ちんどん屋としての誇りをもっています。ちんどん屋を差別語として捉えることこそが差別に当たると私は思います。

放送禁止用語というけど、「日本では放送に関して使用する言葉を規制する法律はありません」なので、放送禁止用語なんてありません

あるとすると「放送上不適切な言葉」となるのでしょうが、ちんどん屋は差別語や性的な表現にも当たらないので、放送で使用しても問題ない言葉です。

ただし「バーカ、あーほ、ちんどん屋」みたいな使い方は、放送上、不適切な表現となるので、使ってはいけません。

放送上不適切な言葉とは、「放送注意用語」「放送自粛用語」とも呼ばれ、差別的・侮蔑的・卑猥・犯罪を肯定助長させる意味をもつ言葉で、視聴者やリスナーに不快な思いをさせる言葉です。

放送上不適切な言葉は、時代によって変化します。

まとめ

江戸時代からある路上宣伝(広告)という職業は、明治時代に大阪では「東西屋」東京で「広目屋」と呼ばれ、昭和初期には「ちんどん屋」として全国に知れ渡ります。

ちんどん屋は1950年(昭和25年)頃に全盛期を迎えます。当時のちんどん屋の人数は約2500人、現在ちんどん屋を生業にしている人は50~60人です。

私が小学生だった頃(昭和40年代の後半)、札幌の狸小路で「ちんどん屋」をよく目にしました。

私が見たちんどん屋は、「顔を真っ白く塗り、派手な色(赤とか黄色)の着物を着て、体の前後に広告版を掲げ」、ちんどん太鼓を叩く人、太鼓を叩く人、ラッパをふく人、踊りながらチラシを配る人で編成されていました(記憶が正しければ)。

ここ数年、私はちんどん屋を目にしていませんが、2018年に札幌でちんどん屋を見たという情報もあるので、現在の札幌にもちんどん屋はいるのかも知れませんね。

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