「不良っぽさへの憧れ」は、いつの時代にもあったようです。戦国時代の「傾奇者」は現在に語り継がれる人気者ですし、明治期には「愚連隊」「女愚連隊」と呼ばれた青少年の不良グループが存在し、昭和30年代には「太陽族」と呼ばた既成の秩序にとらわれない奔放な行動をする青年男女が社会問題になります。
不良文化は、時代とともに外観と趣意(しゅい)を変え、現在に根付いています。
昭和50年代には「ツッパリ」と呼ばれた不良じみた行動をとる青少年が全盛期を迎え、昭和50年代末期には「ヤンキー」が「ツッパリ」に変わって台頭し、平成26年には「ヤンキー」から犯罪性や攻撃性を除いたような性向のある「マイルドヤンキー」が出現します。
ツッパリとは
ツッパリとは、『虚勢をはって、不良じみた態度をとること。またそうする者。』と辞書に載っています。
昭和50年代の「ツッパリ」の多くは、「不良じみた態度」をとるだけでしたが、ツッパリのなかには、校内暴力、窃盗、暴走、暴行などの犯罪を犯す者もいました。
「ツッパリ」の語源は、学校や社会の既存のルールに従わずに「突っ張る(反抗する)」ことの「突っ張る(つっぱる)」が音変化し「ツッパリ」になったという説が有力です。
昭和50年代、一部のツッパリは学校のルールや社会のルールに反抗します。校内暴力が横行し、無免許運転や暴行事件など少年・少女による犯行が多発しました。
「ツッパリ」のなかには、「犯罪者」が存在しました。
ヤンキーとは
ヤンキーという言葉は1970年代以降に広まります。1970年代、米兵(Yankee)のファッションの総体を真似た若者を「ヤンキー」と呼んでいたのが、現在の「ヤンキー」の語源という説が有力です。
後に、アメリカ的な嗜好(しこう)は払拭(ふっしょく)され、暴走族の服飾的スタイルとして、関西方面で「ヤンキー」という言葉は生き続けます。
ヤンキーが全国に、「不良っぽい人」「不良」として認知されるのは、昭和50年代後期です。
昭和50年代後期(1983年)に、大阪出身のシンガーソングライター嘉門タツオが「ヤンキー兄ちゃんのうた」を発表し、全国的にヒットし「ヤンキー」という言葉は全国に広がります。
当時の「ヤンキー」の中には、学校や社会のルールに反抗し、暴行・暴走などの犯罪を犯す者もいました。
ツッパリからヤンキーへの変遷
昭和50年代(1970年代後半から1980年代初頭)にかけて、ツッパリが流行します。
1980年代初頭には、「横浜銀蝿」がデビューし、「なめネコ」が流行、「ツッパリ」は全盛期を迎えます。
多くのツッパリは、外観重視で、「不良」でなくても、「ツッパリ・ファッション」を好みました。
当時、男子中学生や男子高校生の約5割が、長ランや短ランにボンタンやドカンという変形学生服を着て登校していました。ツッパリ女子は「スケバン」や「ピン子」とよばれ、顔にはマスクをし、ロングスカートで登校していました。
ツッパリは、「外観重視で、とくに変形学生服の印象」が強かったため、「横浜銀蝿」や「なめネコ」のブームが終わると死語になります。
一方でヤンキーは、昭和60年代(1980年代後半)から多産された「ヤンキー漫画」の影響もあって、その存在感を高めていきます。
このころから、犯罪を犯すような「ヤンキー」は、徐々に減少し、服装や行動・言動は「不良っぽい」けど、学校や社会のルールに、犯罪を犯してまで反抗しなくなります。
ヤンキーは「不良っぽい」けど、完全に「反社会的」な人ではなく、時代や社会の変化にともない外観や趣意(しゅい)を変えながら、生き残ります。
昭和50年代末期、外観や趣意の「こだわり」がきつい印象の『ツッパリ』が消え、外観や趣意の「こだわり」がゆるい印象の『ヤンキー』へと、「不良っぽい人」の呼び方は変化します。
マイルドヤンキーとは
マイルドヤンキーとは、『地元に根ざし、同年代の友人や家族との仲間意識を基盤とした生活をベースとする若者』を指します。かつてのヤンキーから犯罪性や攻撃性のような激しさを除いた性向をもつことから、博報堂の原田曜平が平成26年(2014年)に著書『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(幻冬舎)で提唱しました。
彼らの特徴は、【地元志向が強い。ITへのスキルが低い。低所得。「できちゃった結婚」の確率が高い。小・中学校からの友人関係を続ける。子供にキラキラネームを付ける。飲酒率が高い。ジャージや筋ものっぽい服装が好き。ギャンブルが好き】等が挙げられます。
地方に昔から普通にいる若者が、マイルドヤンキーです。おおげさに言うのなら「階層的に下位に位置づけらることで、自身のアイデンティティを毀損(きそん)しない生き方」をする人達です。
昨今、マイルドヤンキーが注目されているのは、彼らの生活ぶりが、経済のみならず、政治・社会構造などの側面で、日本に大きな影響を与える可能性があるからです。
まとめ
昭和期には「不良」と呼ばれる犯罪を犯すような若者がモテました。
モテるから「不良」に憧れる青少年が増え、「ツッパリ」や「ヤンキー」が流行します。「ツッパリ」や「ヤンキー」の中には犯罪を犯す者もいましたが、当時から犯罪を犯すようなツッパリやヤンキーは敬遠されていました。
昭和50年代末期には、「ツッパリブーム」は終わり、「ツッパリ」は死語となります。
昭和60年代には「ヤンキー漫画」などの影響もあって、ヤンキーが存在感を高めます。モテるヤンキーを目指し、ヤンキーは「不良っぽい」人へと変化し、生き残ります。
地方に昔から普通にいた「不良っぽい」若者は、平成後期に「マイルドヤンキー」と呼ばれるようになり、経済・政治・社会構造の側面から注目されるようになります。
「マイルドヤンキー」は、地方に根付き、「ヤンキー本来」のモテたいという特徴を受け継ぎ、若くして子供を作り家庭を築きます。
ヤンキー本来の性向をもつ一方で「マイルドヤンキー」は、ヤンキーから「犯罪性や攻撃性を除いた」ような性向があります。
「犯罪性や攻撃性」といった激しさをもつ「不良」が、世間から注目されモテる時代は、終わりを迎えています。