今では赤面してしまう!?昭和50年代の若者のファッション【髪形編】

昭和50年代の髪形 話題

歴史が始まる前から、人類は髪形にこだわり、髪形を整えていました。髪形は、時代の変化、生活様式の変化とともに、変化し進化しています。

日本の理・美容組合(各連合会)が、昭和39年(1964年)にCIC(世界・理美容連盟)に加入し、日本人の髪形は世界のトレンドの影響を受けるようになります。

その後、日本独自のセンスが加わり、日本人の髪形は、多様化、個性化が進みます。

昭和50年代(1975年から1984年)の日本人の髪形は、とても個性的なものも多く、「今では赤面してしまう」ような髪形もいくつかあります。

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サーファーカット

昭和50年代初頭(1975年ころ)から日本で大流行した髪形(ヘアスタイル)です。

サーファーカットとは、ロングのハイレイヤースタイルです。ロングの髪のトップからたくさんのレイヤーが入っていて、軽やかに自由に動く髪は、セクシーでとても流行しました。

日本人の髪質はカットだけでは、柔らかい質感や後方に美しく流れる毛流れがでないので、日本のサーファーカットはパーマスタイルへと変化し流行します。

全盛期には若い女性の70%程度が、サーファーカットでした。

ハミルカット

昭和50年代前期(1976年ころ)から女性に流行した髪形です。

ベースはグラデーションボブで、ブラインドカットのみで作られたヘアスタイルです。日本人ヘアデザイナー須賀勇介が、フィギアスケート選手ドロシー・ハミル(インスブルグ冬季オリンピック金メダリスト)に、提供したヘアスタイルです。

ハミルがスピンをすると、彼女の髪はふわっと浮き上がり、スピンが終わると元の状態に戻る。そんな髪形に多くの日本人女性は魅了され、若い女性のあいだで流行しました。

健太郎カット

昭和50年代前期(1977年ころ)男性に流行した髪形です。

清水健太郎風のパンチパーマ。一般的なパンチパーマがオールバックなのに対して、健太郎カットは、パンチパーマをかけてからカットし、短髪を前に流すスタイルです。

昭和51年11月「失恋レストラン」でデビューした清水健太郎の影響で、若い男性のあいだで流行しました。

ウルフカット

昭和50年代前期(1978年ころ)日本で流行していた髪形です。

ウルフカットとは、サーファーカットをアレンジした髪形です。トップの短い髪に合わせて全体を順を追って同じ長さに切りそろえ(セイムレイヤー)、襟足(ヘムライン)だけが長いヘアスタイルです。

日本では沢田研二などが取り入れたこともあり、女性だけでなく男性にも流行しました。

聖子ちゃんカット

昭和50年代中期(1980年ころ)から女性に流行した髪形です。

聖子ちゃんカットはサーファーカットをアレンジした髪形です。聖子ちゃんカットは、日本で生まれた「パーマスタイルのサーファーカット」のミディアムレングスバージョンです。

前髪は眉(まゆ)をかくす程度の長さにし、サイドとバックは肩下5センチ程度、サイドを外巻きにゆるくカールさせたスタイルです。

当時の人気アイドル松田聖子の髪形は『聖子ちゃんカット』とよばれ、松田聖子に魅了された若い女性のあいだで流行しました。

リーゼント

昭和50年代中期(1980年ころ)から男性に流行した髪形です。

リーゼントとは、整髪料を利用し、両側頭部から髪を後ろに流し後頭部でIの字にぴったり合わせる髪形です。当時は、つっぱり(ヤンキー)の定番のヘアスタイルで、前髪を高く盛るのが粋でした。

昭和55年(1980年)に「横浜銀蝿」がデビューし、彼らに魅せられた、つっぱり(ヤンキー)達のあいだで流行しました。

テクノカット

昭和50年代中期(1980年ころ)から日本で流行した髪形です。

テクノカットとは、もみあげを鋭角に切り落とし、襟足を刈り上げた髪形です。1979年にヘアスタイリストの本多三記夫が考案したヘアスタイルです。

昭和53年(1978年)2月イエローマジックオーケストラ(YMO)が結成されます。デビュー当初、YMOは海外での活動をメインとしていました。海外での高評価を得た後、YMOは日本に帰国し流行します。

テクノカットは、YMOのメンバーの当時のヘアスタイルで、昭和55年ころから若い男性だけでなく若い女性のあいだで流行しました。

チェッカーズカット

昭和50年代後期(1983年ころ)から日本で流行した髪形です。

チェッカーズカットとは、テクノカットより前髪部分が長く、ふぞろいにした髪形です。男性アイドルの定番のヘアスタイルとなるほど流行したヘアスタイルです。

昭和58年(1983年)3月チェッカーズがデビューします。チェッカーズは男性からも女性からも人気を得、かれらのファッションは注目の的になります。

特にボーカルの藤井フミヤの人気は高く、彼の髪形をまねる若者が多く、チェッカーズカットは、おもに男性のあいだで流行しました。

今では赤面してしまう!?昭和50年代の若者のファッション【服装編】
昭和50年代前期、海外でセックス・ピストルズがデビューし、日本でピンク・レディーがデビュー、パンク・ファッションが台頭し、ニュートラやハマトラが流行します。 昭和50年代中期、竹の子族が代々木公園で全盛期をむかえ、松田聖子、横浜銀蝿がデビュ...

まとめ

昭和50年代の女性の髪形の流行は、サーファーカットのようなセクシーなロングヘアから、聖子ちゃんカットのような清純なミディアムレングス、テクノカットのような中性的なヘアスタイルへ、どんどんショートヘアへと変化しました。その後昭和60年代に入ると日本はバブル景気になり、女性の髪形の流行は、ワンレン、ソバージュといったセクシーなロングヘアへと変化します。

昭和50年代の男性の髪形の流行は、健太郎カットやリーゼントのような男っぽいヘアスタイルから、テクノカット、チェッカーズカットのような中性的なヘアスタイルへと変化しました。その後昭和60年代に入ると日本はバブル景気になり、男性の髪形の流行は、サラサラヘアのツーブロックへ、ますます中性的なヘアスタイルへと変化します。

平成のヤンキーファッション「腰パン」が流行した理由と起源
腰パンは、日本で1990年代から2010年頃に一世を風靡(ふうび)した若者のファッションで、おもにジーンズや学生服などのパンツ(ズボン)の着こなしを指します。 オーバーサイズのズボンを腰の位置までさげて、裾をダブつかせる着こなしが腰パンです...

いつの時代も同じ、モテル髪形をもとめ、髪形の流行は移ろいます。

昭和50年代の女性は「男くさい男」に惹かれ、男性は「清純な女性」に惹かれていました。

昭和50年代に北海道で流行っていた若者言葉
「なまら」「したっけ」「こく」「がっぱり」「とんしゃ」「もや」「ぱくった」「おっつい」「しゃみ」等、昭和50年代、北海道の若者は独特の流行語を話していました。 「こく」は「濃厚な旨み」ではなく、「とんしゃ」は「豚の畜舎」ではなく、「もや」は...
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