観賞は「見て楽しむこと」。
風景や珍しいものを見て楽しむのは「観賞」。
鑑賞は「見たり、聞いたり、読んだりして、理解し味わうこと」。
絵画などの芸術作品にふれて理解し味わうのは「鑑賞」。
観照は「主観を交えずに、あるがままの姿をながめ、ものごとの本質をとらえること。美を直接的に受け入れること。」
自然美・人生などの抽象的な物事を客観的にながめ本質をとらえるのは「観照」。
観賞と鑑賞の使い分けは、一般に芸術作品か否かにありますが、雑誌や新聞で「映画鑑賞」「映画観賞」、「月食の観賞会」「月食の鑑賞会」などの表記をよく目にしますが、いずれも間違いではありません。
見て楽しむ「気持ち・心」が強ければ「観賞」、見て理解し味わう「気持ち・心」が強ければ「鑑賞」を使います。
観賞・鑑賞・観照の意味と使い方を、例文をそえてもう少し詳しく解説します。
観賞
観賞の「観」は、「見る。見物」という意味。
観賞の「賞」は、「愛でる(めでる)。いつくしんで楽しむ」という意味。
観賞は、「見て愛でる。見て楽しむこと」です。
観賞は、「見る」ことに重きをおく言葉で、「見る」ものに限って使われます。
観賞は一般に、植物・動物・風景などを見て楽しむときに使われますが、芸術作品などを見て単純に楽しむときも使います。
例文
桜を観賞する。(植物を見て楽しむ)
旭山動物園でオオカミを観賞する。(珍しい動物を見て楽しむ)
夜景を観賞する。(美しい景色を見て楽しむ)
花火大会を観賞する。(美しいもの珍しいものを見て楽しむ)
映画を観賞する。(作品を理解し味わうというよりは、作品を単純に見て楽しむことに重きをおく)
鑑賞
鑑賞の「鑑」は、「他とくらべてあわせて考える。よくみて品定めをする」という意味。
鑑賞の「賞」は、「愛でる(めでる)。いつくしんで楽しむ」という意味。
鑑賞は、「見たり、聞いたり、読んだりしてよく考えて作品を理解し味わうこと」です。
鑑賞は、見るものに限らず、「見るもの」・「聞くもの」・「読むもの」に使われます。
鑑賞は一般に、芸術作品を理解し味わうときに使われますが、芸術作品以外でも自然現象を理解し味わうときも使います。
例文
中世の名画を鑑賞する。(絵画などを見て理解し味わう)
平成の名曲を鑑賞する。(音楽を聞いて理解し味わう)
昭和文学を鑑賞する。(文芸を読んで理解し味わう)
映画を鑑賞する。(作品を見て単純に楽しむというよりは、理解し味わうことに重きをおく)
中秋の名月を鑑賞する。(自然現象を理解し味わう)
観照
観照の「観」は、「見る。見方。考え方」、仏教に関する語で「真理を観察すること」いう意味。
観照の「照」は、「てらす。てらしあわせる」という意味。
観照は、「主観を交えずに、あるがままの姿をながめ、ものごとの本質をとらえること」「美を直接的に受け入れること(美の直観)」です。
観照は一般に、人生や自然美などの抽象的な物事について、あるがままの姿をながめ、本質をとらえるときに使い、美学において自然・芸術を問わず使います。
例文
自然を観照する。(主観を交えずに、あるがままの姿をながめ、ものごとの本質をとらえること)
人生を観照する。(主観を交えずに、あるがままの姿をながめ、ものごとの本質をとらえること)
仏像は美的観照の対象です。(美を直接的に受け入れること)
まとめ
観賞は「見て楽しむ」こと。
鑑賞は「見たり、聞いたり、読んだりして、理解し味わう」こと。
観照は「美を直接的に受け入れる。主観を交えずに、あるがままの姿をながめ、ものごとの本質をとらえる」こと。
観賞は「見る」ことに重きをおく言葉で、「見る」ものに限って使われます。
鑑賞は「作品を理解する・味わう」ことに重きをおく言葉です。
観照は「物事のあるがままの姿をながめ本質をとらえる」ことに重きを置く言葉です。
一般に、「観賞」は美しいもの珍しいものを対象に、「鑑賞」は芸術作品を対象に、「観照」は抽象的な物事を対象に使われる言葉です。
「映画を鑑賞する」「映画を観賞する」、「月食を観賞する」「月食を鑑賞する」という表記をよく目にしますが、どちらも間違いではありません。
映画を観賞するは「映画を見て単純に楽しむ」という意味、月食を鑑賞するは「月食をよく観察し理解し味わう」という意味で使われます。
観賞・鑑賞・観照のように「発音(読み)」が同じで意味の異なる語を《同音異義語(どうおんいぎご)》といいます。
観賞・鑑賞・観照は意味が似ている、使い方の間違いを”しがち”な語です。
意味をよく理解して正しく使い分けをしたいですね。
余談ですが
”かんしょう”の同音異義語には、干渉・奸商・完勝・官省・管掌・冠省・緩衝・感賞・感傷・勧賞・環礁・観象・癇症など多数あります。