発見と発明の違い~「真の科学とは発見であり発明ではない」物理学者が天才数学者に語ったセリフ~

発見と発明の違い 話題

発明と発見の違いは、あまりこだわらなければ一緒くたにとらえてしまっている人が多いかもしれません。

「真の科学とは発見だ、発明とは違う。真実はすぐそこにある、見つかろうと見つかるまいと」

上の言葉は海外の人気ドラマ「ナンバーズ」で物理学者のラリーが、彼の元教え子で良き友人で研究仲間である若き天才数学者のチャーリーに言ったセリフですが、発明と発見の違いがとてもわかりやすく表現されているのではないでしょうか。

つまり「発見」とは、現実の世界・宇宙にすでに存在しているが、まだ誰も気づいていない真実を見つけ出すこと。

一方の「発明」は、存在していないものを作り(創り)出すこと。

このように明らかに違うものとなります。

ちなみに英語で発見はdiscovery、発明はinvention。特許は発明に対して与えられます。

ドラマでの「真の科学とは発見であり発明ではない」として物理学者が天才数学者を諭したセリフの真意は『発明は必ずしも人類を幸せに導かない、それどころか時に不幸にさえしてしまう』ということであり、裏を返せば「科学とは人間を幸せに導くものであるべきだ」という彼(というよりは制作サイドか)の哲学も垣間見えます。

ところで、現実世界の天才物理学者アインシュタインが言ったとされる「人類最大の○○は複利」という言葉を聞いたことがある方も多いと思いますが、この○○を「発明」としているものもあれば、「発見」としているものも見かけます。さて、どちらが正しいのでしょうか。

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複利は人類最大の発明?発見?どちらが正しい?

そもそも複利それ自体はもうとっくの昔から知られたものであるため、いまさら見つけた云々の話ではないはずなのは明らか。

ただし利子が利子を生む複利が、富めるものをさらに富めるようしたのは、資本主義社会の下で金融がその力を遺憾なく発揮するようになった近代からではないでしょうか。

桁違いの大金持ちが自らの利益のために戦争を引き起こす、というような、かつてならとんでも陰謀論として片付けられてきた説も、今日では半ば常識として定着しつつあります。

そして、その桁違いの大金持ち達の富をさらに大きくするのが資本主義社会と金融で生み出す複利であるなら、それは「人類最大の発明」に違いないかもしれません。なぜなら、ドラマのセリフを借りれば「発明は必ずしも人類を幸せに導かない」ものだからです。

科学と科学者が人間を幸せに導くものであるならば、アインシュタインは皮肉を込めて「人類最大の発明は複利」と言った、、、そう思いたいものです。

『人生で成功する可能性を予測する方程式』は人間を不幸に貶める「発明」?

人気ドラマ「ナンバーズ」での物理学者ラリーのセリフ「真の科学とは発見であり発明ではない」は、『人生で成功する可能性を予測する方程式』という「発明品」が登場したエピソードにおいてです。

セイバーメトリクス(野球で客観的にデータを分析して選手の評価などを導き出す統計学的手法)を研究していたホーク博士が殺害された事件。当初はそのセイバーメトリクスを巡っての金銭がらみのもつれと思われたのですが、捜査が進むうちにその研究内容が徐々に明らかになり、セイバーメトリクスに見せかけて実は人間の成功のチャンスを予測する方程式を研究していたことが判明したのです。

そんな方程式が完成してしまえば貧困層出の人間はチャンスを奪われてしまうと危惧したホーク博士の助手が、その方程式を「発明」した博士を殺害したというストーリーでした。

若き天才数学者のチャーリーは、この『成功のチャンスを予測するホークの方程式』を純粋に数学者として高く評価するのですが、反対に物理学者のラリーは「そんなものは科学じゃない!」と数学者のチャーリーに以下のように苦言を呈します。

(このような研究の必要性に対して)どうして、なんのために?

人生を予言によって誘導されるだけだ。人生で成功する可能性を予測する方程式なんて作ったら前提条件によってすべて決められてしまうのだぞ。

チャンスを得られる人と得られない人が区別されることになる。

そんなのは科学じゃないとはっきりと言える。健全な科学じゃない。

まるで毎年カレッジフットボールの決勝に進出するチームをパソコンで選ぶようなものだ。

そうなると必ず選ばれないチームが出てくる。「戦うチャンスがあれば自分たちも優勝出来たかも」と彼らは思うだろう。

そうして冒頭に記した「真の科学とは発見だ、発明とは違う。真実はすぐそこにある、見つかろうと見つかるまいと」という台詞となったのです。

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